上古への情熱

徒然なるままに上古に想いを馳せて書きつくる備忘録

仲哀天皇崩御の謎

記紀によると仲哀天皇は神の怒りにふれて崩御されたとされている。

実際には何があったのか?

暗殺説

  • 現代人の感覚からすると暗殺されたように見えるが、暗殺とすると、誰が暗殺したのか。
  • 首謀者は敵か身内か。敵としては北九州勢や熊襲が考えられるが、敵による暗殺の場合は、その後の影響としては、後で論じる戦死説と同じである。
  • 身内の場合、崩御後に利益を得た者が怪しい。多大な利益を得たのは、神功皇后武内宿禰、このほか、和珥氏の建振熊吉備氏となるが、暗殺の首謀者となると、①神功皇后か②武内宿禰になる。

神功皇后による暗殺説

  1. 仲哀天皇崩御後、神功皇后は忍熊王を滅ぼし自分の子の応神天皇の即位への道を開いた。
  2. 神功皇后は血統として皇嗣を産むのに相応しくなく、播磨王家の大中姫の子の香坂王、忍熊王が正統であったと思われる。(下記系図参照)
  3. 神功皇后応神天皇への皇位継承を実現するため仲哀天皇暗殺に続き忍熊王を討滅するクーデターを起こしたとする。
  4. 釈然としないのが、神功皇后の出身である彦坐王家が族滅していることだ。息長宿禰王の事績も伝わらず、息長の名跡は、仲哀天皇の異母弟である息長田別王に継がせた。
  5. 息長宿禰王は忍熊王に滅ぼされたとも考えられるが、神功皇后以降に事績が抹殺されたとも考えられる。
  6. 神功皇后の神格化具合からすると、神功皇后は暗殺首謀者ではなく神輿として担がれたのであり、一族が抹殺された悲劇の巫女として神格化されたのではないかと疑いたくなる。

武内宿禰による暗殺説

  1. 武内宿禰仲哀天皇崩御後、古事記では仲哀天皇崩御の場面で突然現れて、その後大活躍する。子孫は葛城氏として大発展する。
  2. 崩御の場面での密室での登場人物は神功皇后武内宿禰であり、現代人の感覚からすると、いかにも怪しい
  3. ただ、武内宿禰には動機が無い紀伊水軍、瀬戸内海の制海権を握っていたのは武内宿禰と考えられることから、主君の仲哀天皇を除く理由が見当たらない。

③息長宿禰王による暗殺説

  1. ひとつ変わった視点として、息長宿禰王が暗殺の首謀者であるかもしれない。
  2. 関門海峡を制圧すると困る一族がいる。日本海交易を牛耳る彦坐王、息長宿禰王、神功皇后の実家である。
  3. 以後、関門海峡経由で瀬戸内海に大量の富が流れ込み、巨大前方後円墳の増築が可能になるなど、吉備・河内が大発展したことから分かるように、日本海交易勢力が没落するのは目に見えていた
  4. そこで、日本海権益を守るため息長宿禰王が香坂王・忍熊王を担いで仲哀天皇を暗殺怒った神功皇后+瀬戸内勢が畿内へもどって日本海勢+畿内勢を蹴散らした
  5. 熊王が祀られているのが越前であるのは日本海勢に守られたから
  6. 暗殺説の中では、案外、一番もっともらしい

戦死説

  1. 日本書紀には一書として、熊襲との戦いで命を落としたとする説を載せている。
  2. この場合、死を秘匿とするのも戦争中であれば納得のいく対応であり、とりあえず北九州+南部朝鮮半島任那)の勢力の確保までは秘匿して戦闘を続行した。
  3. 一方で、この遠征軍は畿内とは比べ物にならないぐらい豊かな北九州と任那の富を得たことで驚愕するとともに、このまま帰国して畿内の人々に頭を下げるのはしたくないと思った。現地の兵力の大量動員も可能であり、畿内に十分勝てる戦力を持つことができた。
  4. そこで神功皇后を担いで畿内に反乱を起こした

実はある程度まで崩御していなかった説

  1. 日本書紀の主張としては日本統一+朝鮮半島任那などの権益を確保したのは仲哀天皇ではなく神功皇后であったと言いたいということであれば、仲哀天皇崩御のタイミングは捏造された可能性もある。
  2. 即ち、崩御翌年2月の長門国豊浦宮での殯以前であれば崩御はいつでもいいことになり、朝鮮半島出兵も実際には仲哀天皇により行われた可能性がある。
  3. 色々無理があるように見える神功皇后の話は仲哀天皇崩御のタイミングを捏造したからとすると、解釈しやすい。

結局、仲哀天皇崩御の謎は?

  1. 結局のところ、遠征軍中に仲哀天皇を暗殺する動機を持つ者がいないことから戦死説が真相に近いのではないかと考えられる。
  2. 膨大な富と兵力を入手した遠征軍はトップが居なくなったことから畿内への反乱軍に変わった
  3. 神功皇后は単なる巫女であり応神天皇皇嗣となり得なかったが反乱軍に担がれた
  4. 反乱軍は、紀伊武内宿禰、和珥の健振熊、吉備氏で構成。
  5. 畿内にいた忍熊王をはじめとする播磨系皇族と山背琵琶湖日本海権益を有する神功皇后の実家の彦坐王家が排除された。播磨勢力は吉備に吸収され、山背琵琶湖勢力は和珥氏に吸収された。
  6. 最後に美濃系皇族の子孫であり、尾張氏の血も濃く受け継いだホムタ真若王の3人の娘を応神天皇に娶らせることで、応神天皇の正統性を高め、統一日本の初代天皇として、新しい王朝として応神天皇を即位させた。

やっぱり仲哀天皇は戦死説が妥当かと。

(参照:世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱)