上古への情熱

徒然なるままに上古に想いを馳せて書きつくる備忘録

系図:初期天皇家系図①:耳王家

初代神武天皇から四代懿徳天皇までは名の最後がミミ、ミとなっている。

 

初期天皇家系図

f:id:otoshiki:20231016221208p:image

系図作成上の基本的な考え方は「上古の時代の系図の作成 - 上古への情熱」及び「世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱」を参照。

 

  1. 名のさいごがミ、ミミとなっている耳王家ホホデミ神武天皇から始まり最後が磯城津彦の子のワチツミとなる。四代スキツミ懿徳天皇の世代までは、すべて男で姫がいない特徴がある。(正確には男女不明であるが、明確な姫がいない。)
  2. ワチツミの父は、三代磯城津彦タマテミ安寧天皇の子で、安寧天皇と同じ磯城津彦であるが名前が伝わらない。また「世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱」でも示した通りワチツミは四代懿徳天皇と同世代と考えられ、磯城津彦は三代安寧天皇と同一人物かとも考えられる。
  3. 四代懿徳天皇については記紀ではスキトモとされている。スキトモはスキツミの転訛であるとの解釈があり、ここではこの転訛説を採用している。
  4. さらに先代旧事本紀には四代懿徳天皇大日本根子彦スキトモ天皇とあり、七代から九代の倭根子王家と同じ美称となっている。「世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱」で示した通り、四代懿徳天皇の次の世代は七代大倭根子彦フトニ孝霊天皇であることから、四代スキツミを継いだのが七代フトニで、倭根子王家の初代は耳王家最後の四代スキツミとの解釈も成り立つ。
  5. シナリオ:3世紀中頃『統一王崇神天皇の登場』 - 上古への情熱の通り、四代スキツミ懿徳天皇は、崇神天皇が一旦は祭祀世俗統一王となるが、祭祀は早々に手放して、七代孝霊天皇が祭祀王として引き継いだ。
  6. 耳王家の最後となったワチツミの子は、磯城県主ハエの名を継ぐハエイロネ・ハエイロド姉妹で、七代孝霊天皇妃となり、子孫は播磨・吉備に深く関係していく