※系図作成上の基本的な考え方は「上古の時代の系図の作成 - 上古への情熱」及び「世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱」を参照。
- 耳王家の妃に関する系譜は、記紀で大きく異なる。古事記では妃を大物主及び磯城県主からとしているのに対し、日本書紀は事代主の子孫の出身としている。
- 大物主は三輪山の神であり、磯城県主一族は大和盆地南東部の実力者で間違いない。
- 一方で、「解説:第五代孝昭天皇と第十代崇神天皇の出自と水銀朱利権について - 上古への情熱」でも解説した通り、事代主一族は那賀川の水銀朱鉱山開発を行うなど鉱山権益の実力者集団である。
- 神武東征の伝承では弟磯城=初代磯城県主黒速との共闘が見られることや大和盆地南東部が初期天皇家の活躍の舞台となっていることから、神武天皇をはじめとする耳王家は大物主磯城県主家へ婿入りした状態の伝承となっている古事記の記載の方が正しいと解釈できる。
- 一方で事代主系の伝承は正しくないかというと、事代主系の系譜自体は特段の疑義はない。すなわち、事代主の子の「五十鈴姫」は存在したかもしれないが、日本書紀の「五十鈴姫」伝承は大物主の子の「イスケ依姫」のものである、ということかと。
- あえて事代主系の系譜を仮冒とする解釈をしてみると、明らかに磯城の人である弟磯城を系譜から外し、大物主を事代主に変えて、ハエを鴨王に変えれば、事代主系の系譜が出来上がる。
- 後に事代主系のミマツ彦孝昭天皇、ミマキ入彦崇神天皇が政権を握って伝承を書き換えたという解釈も可能である。
- が、そこまで否定しなくても、大物主系と事代主系が両方あったとした方が自然かと。
- タギシミミの伝承のように、この時代は一夫多妻制ではなく、女性が強い一妻多夫制であった可能性があり、事代主系譜仮冒説は説得力はあるが。