上古への情熱

徒然なるままに上古に想いを馳せて書きつくる備忘録

上古の時代の系図の作成

神武天皇から持統天皇までの記紀が扱う時代について系図を作成してみた。

 

この時代の神武天皇からはじまる系図では、通常は男系の単調な系図となっていて、神武天皇から成務天皇までは父子継承であることから、系図は一直線になっている。

ところが、本来の記紀には多彩な母系も記述されており、決して一直線の単調な系図で表されるようなものではなく、また、"神武"のような漢風諡号も使われていない。

 

漢風諡号を用いた単調な系図は、そもそもの記紀の世界観からは大きく異なったイメージを与えて、あまり適切ではないのではないか?

漢風諡号を用いず、母系も意識した系図を作成すると、どのようになるのか?

 

そのような観点から、記紀の記載を基本とし、先代旧事本紀などの補足資料も用いて、母系も意識した系図を作ってみたのが、こちらの『記紀準等拠系図』。

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ここで、記載に際し、

○世代を意識し、同一世代は並べて記載する。

○有力氏族の母を持つ場合、母方につなげて記載するなど、母系を意識した記載とする。

とした。

 

ここで、誕生年がある程度予測できる雄略天皇以降について、世代交代を眺めてみると、おおよそ四世代で100年となっているのがわかる。そこで、

○一世代はおおよそ25年であると仮定する

○雄略世代が425年前後生まれ、允恭世代が25年前の400年前後生まれ。

○第16代仁徳天皇以前は、天皇は一世代一人なので、16世代400年。

とすることができる。

 

このように、世代を揃えることで系図に時間軸をつけることができる。

 

結果として神武天皇は西暦元年前後誕生の世代ということになる。

記紀では、允恭天皇以前は、長寿が増えてくる。100歳以上の長寿の人物も多数いて、到底歴史的事実とは言えない。記紀が編纂された8世紀には、だんだん寿命が短くなってきたという歴史認識があったのかもしれない。
一方、飛鳥時代の平均的な世代交代年数は、時代を遡って適用してもそれほど間違ってはいないと考えられる。

記紀が語る人物の関係、系図が正しいとすると、記紀は、神武天皇をおおよそ西暦元年前後生まれの人と、もちろん誤差は大きいが、言っていることになる。