上古への情熱

徒然なるままに上古に想いを馳せて書きつくる備忘録

ヤマトタケルは伊吹山で何をしていたのか

景行天皇には皇后として、即位前にワケられて赴任した先の播磨の実力者で耳王家系の後裔である播磨イナビ大娘皇后と、即位後に制圧した美濃の八坂入姫皇后がいる。景行朝から応神朝への推移はこの播磨対美濃の構図と捉えると理解しやすい

 

景行天皇即位の経緯

  1. 景行天皇が即位した経緯については「シナリオ:3世紀後半から4世紀前半『垂仁天皇、景行天皇、ヤマトタケル』 - 上古への情熱」の通りであるが、景行天皇は本来の後継者である五十瓊敷入彦を大和盆地から追い出して即位した。
  2. 五十瓊敷入彦は美濃で滅ぼされており、景行天皇は五十瓊敷入彦の資産を継承し、八坂入姫を皇后としたと解釈できる。

 

播磨勢力と美濃勢力の対立

  1. 播磨イナビ大娘の子がヤマトタケルと若倭根子皇子(日本書紀では八坂入姫の子としているが、古事記のイナビ大娘の子とする説をここでは採用している)であり、八坂入姫の子が五百城入彦と成務天皇である。
  2. この播磨系皇子と美濃系皇子の間で後継者争いがあったようだ。
  3. 伝承ではヤマトタケル伊吹山の神に敗れ命を落とすが、五百城=伊吹とできることに着目すれば、何があったか想像がつく。

 

最古の関ヶ原の戦い

  1. 伊吹山麓の関ヶ原には伊富岐神社があり、ここが美濃系皇子である五百城入彦の拠点で、ここでヤマトタケルとの関ヶ原の戦いがあったのであろう。
  2. 草薙の剣を置いて行った伝承から、尾張氏ヤマトタケルを見限って美濃と手を組んだようだ。
  3. ヤマトタケル敗退後に、仲哀天皇をはじめとする播磨系皇子は現在の米原にいた神功皇后の父である彦坐王家の息長宿禰王に匿われたと見られる。

 

景行朝のパワーゲーム

  1. 古事記には景行天皇ヤマトタケルの武力を恐れていた様子が書かれている。これを播磨勢力を忌避して排除したと考えると、いろいろと理解できる。
  2. すなわち、大和盆地の政権から「ワケ」られたオシロワケ景行天皇を利用して播磨の勢力が拡大を企図し、五十瓊敷入彦を討滅したが、美濃の八坂入彦の勢力基盤を接収した景行天皇は播磨勢力と疎遠になり、景行天皇は美濃勢力を使って播磨勢力を駆逐した
  3. 後白河帝による源平パワーゲームと同じように、景行帝による播磨美濃パワーゲームがあったとみられる。

 

敗退した播磨系王家は、美濃勢力と対立していた近江坂田(米原)の彦坐王後裔の息長王家に逃げ込み次のステージとして天皇家対息長王家の琵琶湖東西対決に移行することとなる。