上古への情熱

徒然なるままに上古に想いを馳せて書きつくる備忘録

継体持統③:継体・安閑・宣化天皇の不思議

継体天皇の即位の条件として、前政権への一族全体での婿入りがあった。継体天皇手白香皇女へ婿入りし、後継は手白香皇女の子、欽明天皇と確定していたというのは定説となっている。

一方で、継体天皇崩御時の政治情勢は、強力な指導者を必要としていた。任那については百済に割譲され、北九州では磐井の反乱も起きた。

安閑天皇宣化天皇は即位したのか?

  1. 安閑天皇宣化天皇は、継体朝内で発言力もあり、政権幹部として活躍していた。軍事・外交上の決済権は安閑天皇宣化天皇継体天皇崩御後も握っていたとみて間違いないだろう。
  2. 一方で、天皇としての祭祀はどうなのか。安閑天皇宣化天皇期の記録の混乱を見ると、天皇」は欽明天皇であり、安閑天皇宣化天皇天皇としての権威を持たないが執政権を持つ「将軍」のような地位についていたと考えると解釈しやすい。(シナリオ:6世紀『磐井の乱が引き起こした二朝並立と蘇我氏の勃興』 - 上古への情熱参照)
  3. 軍事・外交は安閑天皇宣化天皇が執行していたことから、外国からは安閑天皇宣化天皇は大王として見られることとなる。
  4. 日本の骨格を決める最初の歴史編纂を行なった蘇我馬子は、安閑天皇宣化天皇天皇として扱わなくても良かったはずだが、外交上、大王として振る舞った実績を考慮し、歴代天皇としてカウントした可能性がある。

継体天皇はそもそも即位したのか?

  1. 安閑天皇宣化天皇が執政権を持つ「将軍」のような地位であったことを考えると、手白香皇女を皇后にすることが前提で即位した継体天皇安閑天皇宣化天皇と同じ「将軍」ではないかとの疑義も生じる。
  2. 手白香皇女が本来の天皇で、継体天皇は「将軍」にすぎないとの解釈も成り立つ。

欽明天皇はいつ即位したのか?

  1. 日本書紀では宣化天皇が亡くなった539年に欽明天皇が即位したと記している(欽明元年は540年)。
  2. 一方で、前記の通り、欽明天皇安閑天皇宣化天皇は並立していたと解釈できる。
  3. だとすると、欽明天皇継体天皇が亡くなったときに即位したという解釈が成り立つが、継体天皇崩御時、欽明天皇は23歳とまだ若く、即位時30歳程度が必要とする考えからすると若すぎる
  4. 継体天皇ではなく手白香皇女から嗣ぐ必要があるとすると、手白香皇女がいつ亡くなったかが問題になる。
  5. 日本書紀の欽明記では、欽明天皇は即位前に安閑天皇皇后で仁賢天皇の子の春日山田皇女に政務を譲ろうとした。これが真相であるように思われる。
  6. すなわち、手白香皇女からは春日山田皇女が嗣ぎ春日山田皇女から欽明天皇が嗣いだのではないか。
  7. 安閑天皇崩年は535年で欽明天皇数えで31歳であり、安閑天皇崩年以降、宣化天皇崩年前後で、春日山田皇女が亡くなり、欽明天皇天皇位を嗣いだとの解釈は自然である。

継体・安閑・宣化により作られた執政天皇は、欽明天皇により祭政統一されるが、敏達天皇の後、仏教王朝を建設しようとした執政天皇用明天皇の出現により、再び祭政分離体制に移行する

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